がん告知から入院したまま、すぐに1回目の抗がん剤を打つ日がやってきた。
『抗がん剤』って聞くだけで、嫌な事がたくさん浮かんでくる。
よく、ドラマとかテレビで聞いたことある言葉。
吐き気、脱毛、だるさ。そんな印象があった。
看護婦さんからも、説明された。一番嫌だったのは、脱毛。
やっぱ女として、それが一番つらい。彼氏だって、そんな姿見たら離れて言っちゃうかも、、、。
って怖かった。
1回目は初めての抗がん剤だったから、心電図を付けて、頭にも、なるべく髪が抜けないよう に、宇宙服みたいなのをかぶって受けた。
抗がん剤の針は、すごく太い!布団針みたい。昔から注射が苦手な私にとっては、その針を見ただけで倒れそうだった。
いよいよ薬が私の体に入れられる。どうか、どうか治りますように、、、。と心の中で祈った。
少しずつ薬が入ってくるのがわかる。口の中が薬のにおいがする。
それから半日かけてゆっくりと入れていく。
お母さんが来てくれていた。私がガンだって兄弟に話をしたら、お兄ちゃんがボロボロ泣いて
たって。 自分のことで涙を流してくれる人がいるって、ありがたい、と思うと同時にその光景を 想像して心が切なくて痛くなった。
1日目は、体には何の症状も出てこなかった。
2日目も、特に変わりはなかった。
3日目、 気持ち悪い、全身がすごくすごくだるい。横になっても歩っていてもだるい。
ご飯が食べれない。つらかった。早く家に帰りたくてしょうがなかった。
そんな中でも、彼氏はほぼ毎日ちょっとの時間でも来てくれた。それが嬉しくて、楽しみで。
気持ち悪くても、だるくても、その瞬間は笑顔でいれた。
病気になってよりいっそう大切な人になっていたから。隣で支えてくれて、笑わせてくれて、し かってくれて。大好きで、大好きで。感謝してもしきれないくらいたくさん助けてもらった。
今、こうして元気に生きていられるのも、その彼氏がいてくれたから。そばにいてくれなかったらきっとだめになってた。 私を助けてくれた神様なんじゃないかって本気で思った。
子供が産めなくなる私を見捨ず、二人で生きていこうって言ってくれた。
ホントにホントにもうだめかもしれないっていうとき、二人でどこか遠い、キレイなところで暮ら そうか、って言ってくれた。実現されなくても、そう思ってくれてるだけですごく嬉しかった。
今でも大切な人。私の命の恩人。
その人とは、治療が終わってから、別れがやってきた。
全摘して、精神的にすごく不安定になって、子供が産めないのに一緒にいることが本当にそ の人にとっていいことなのか。そう思いだして、そう思ったら、自分がいらない人間の様に思え て、欠陥品に思えて。一緒にいるのがつらくなった。本当は、心の奥底では、一緒にいて欲し いと思ってるのに、怖くて言えなかった。
『考えて』って私から切り出したんだ。 それでも一緒にいるって言って欲しかった。わがまま だけど。 でも彼氏は二ヶ月以上考えて、『一緒にいれない』っていう結果を出した。
言われた瞬間、平気な顔して『わかった』って言うので必死だった。
でも次の瞬間、彼氏にしがみついて、『ヤダ、ヤダ、一緒にいたい、ヤダー』って泣き叫んで た。それが本心だった。でも1回出した答えをすぐに変えるような人じゃないってわかってる。
『ごめん』って低い声で何回も謝ってた。
家の前で車から降りた私は、そのまま道路にしゃがみこんでしばらく泣き崩れていた。
まともに歩けないほど泣き崩れてて、這い蹲りながら家の中に入って、両親が心配すると思って部屋に上がろうとした時、お父さんが異変に気づいてどうしたって言ってきた。
言葉にならず階段でこらえ切れなくてボロボロ泣いた。
病気中も、心配するから両親の前では絶対泣かなかった私が目の前で泣き崩れてるから、本当にびっくりしたと思う。
次の日の朝、お母さんが、コレも食べな、コレも。っていつもは言わないことを言っている。
あー心配してるんだー。と思って、ご飯を一口、口に入れたらその優しさにまた涙が出てきて しまった。でも気づかない振りしてくれて。仕事に行くときも何回も何回も『気をつけてね』って
言ってくれた。頑張んなきゃって踏ん張って会社に行った。
仕事終わる時間に、いつもはしてこないのに電話をよこして、『何時に帰ってくるの、早く帰っておいでよー』って。 家について電話の横のFAXをふと見たら、お母さんが友人に『娘が心配なので今日は行くのやめます。』って書いてあった。
何があったか聞いてこないし、なるべく普段どおりにしていてくれるお母さんの優しさ。でもすごく心配かけてるんだ。自分なんかいなくてもいいんじゃないかって思ったりもしたけど、こんなに心配してくれる人がいるんだから、それだけで生きている意味があるんだとそのとき思った。
何のために生まれてきたのか。ではなくて、生きる為に生まれてきたんだと。
だから何があって生きていかなければいけないんだと。それが私の生まれてきた意味だから。